平成25年5月

「矢吹ヶ原を見守って来た看板に思う」

 3月末、「国営隈戸川農業水利事業所」(当時の所長:芳賀隆志氏)の看板降ろし式が、事業所玄関前で実施された。本来ならば、二期工事の完工後、平成23年3月末をもって事業所が閉鎖される予定であったが、3月11日の東日本大震災によって被災した羽鳥ダム・幹線用水路等の復旧のため、2年間事業所が継続することになったことは周知の通りである。復旧工事の管理・監督に当った事業所の芳賀所長始め職員の懸命のご努力に心から感謝する。今回の事業所閉鎖により、また、町の一つの歴史が閉じた。

 ここで改めて羽鳥ダムと矢吹ヶ原開拓の歴史を振り返ってみる。

 町民の皆様もご存知のように国家プロジェクトであった「国営白河・矢吹開拓建設事業」、所謂、羽鳥ダム・羽鳥幹線用水路等の建設工事は、数ある戦後の開拓事業の中でも、特に規模が大きく、また、様々な技術的困難を克服し、最も成功を納めた地域として、矢吹町が、青森県十和田市、宮崎県川南町と共に、旧農水省の「戦後開拓史」の中で紹介されている。現在、三市町が「日本三大開拓地」として継続的に友好交流を深めている所以である。

 矢吹町発展の礎を築いた矢吹ヶ原開拓事業と羽鳥ダム等の建設構想は、時を溯ること約130年前。当時、大和久村(現在:矢吹町大和内)の村長であった星吉右衛門翁の壮大な構想に始まる。明治18年のことであった。当時の矢吹の地は、奥州街道の宿場町として、町の体裁は整ってはいたものの、水に恵まれず、常に日照りに苦しみ、従って農家の窮状は推して知るべしであった。日本海に注ぐ鶴沼川を堰止め、東に水を注ぎ込む。この「西水東流」の星翁の建白書は、昭和16年に旧農水省に採択され、ようやく陽の目を見、第二次大戦の中断を経て、足掛け15年の難工事にも拘らず、昭和31年遂に完成したのである。星翁の構想から70年を優に越えての完成であった。1600haにも及ぶ美田がこうして開かれたのである。その後、羽鳥の水と共に矢吹町が発展してきたことは、町民の皆様が歴史の証人であり、まぎれもない事実である。

 一期工事から37年が経った、平成4年11月。老朽化が著しい、頭首工、幹線用水路等の大規模改修事業として、「矢吹ヶ原国営隈戸川農業水利事業二期工事」が着工。二期工事は、総事業費340億円にも上る一大事業であった。延長18kmの開水路をパイプライン化し、地中に埋設、また、十分な用水を供給する為に、頭首工、揚水機場を整備するといった、最新の施設整備と工法により、それまで非効率であった通水環境を改善し、かんがい用水不足に万全を期すことを目的に足掛け18年の工事は、平成22年11月に完成を見たのである。震災による2年の延長はあったものの、平成4年11月に立て掛けられた看板は、今その役割を終え、この度、降ろされたのだ。20年間、矢吹ヶ原を見守って来た木製の看板を永久に保存しながら、この看板にもご苦労様の言葉を贈り、今月のひと言としたい。

矢吹町長 野崎 吉郎

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