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平成26年11月

「やったぞノーベル賞」

「湯川秀樹」の名前を意識したのは、多分、小学3、4年生の頃だったと思う。朝永振一郎博士が、日本人二人目のノーベル賞を受賞したことで、初めてノーベル賞の存在を知った。当時は単に凄いことだ、世界一偉い人の賞だということ位しか、考えておらず、中間子論、量子力学がどうのこうのといった受賞の意義や価値については、何も分からず仕舞いだった。ただ、ノーベル賞って凄いことなんだなっていうことを強く意識したことだけは、間違いない。その影響からか、湯川秀樹、キュリー夫人やエジソンに至るまで、数多くの名だたる偉人の伝記物語を読みあさったことが、今記憶として甦る。川端文学への傾倒も受賞が大きく影響している。中学生の頃の思い出だ。彼らの人となり、業績についても、その当時得た浅薄な知識が、今も私の基となっている。その時以降、特に彼らについて詳しく研究したこともなく、彼らの文献を読み込んだこともない。従って、彼らについて知り得る事はそう多くない。

言えることは、ノーベル賞は容易く手に入るものではなく、私たちにとっては遥か彼方の手の届かない憧れの代物。しかし、同じ日本人として、その時々の受賞の朗報は「やったぞニッポン!」「どんなもんだい!!」という気にさせてくれるから、やはり凄いこと。日本人としての誇りを大いに喚起させる存在がノーベル賞だ。

今年のノーベル賞の受賞発表も期待していた。期待は「物理学賞」ではなく、実は「文学賞」だった。近年、毎年話題性の高かった、村上春樹氏の受賞を予想していたからだ。しかし、意に反してというか、驚きというか、私たちには全く予想もつかなかった3名の名前が、新聞のトップを飾った。

「物理学賞日本の3人」、「ノーベル賞赤崎・天野・中村氏」、「青色LEDを発明」と。一昨年の山中伸弥博士以降の快挙に、日本中が沸き立った。やはり「ヤッター!」だ。他の国に先駆けての、今後の世界を大きく変えるこの発明は、ニッポン人として大いに誇りに思う。嬉しい限りだ。

受賞者である赤崎氏は、愚直なまでに信念を貫いた研究者。

天野氏は、努力に努力を重ねたヒラメキの研究者。

中村氏は、制約の多い日本を飛び出し、米国に自分の可能性を託した反骨の研究者。

三人三様の三氏の受賞は、復興に勤しむ私たちに、正に明るい希望の光をもたらし、照らしてくれた。

新聞やTVのニュースで三氏の生い立ちやエピソードを知った。皆さん既にご存知の方もいるでしょうが、敢えて書いてみる。

赤崎勇氏は、戦時中の鹿児島で少年時代を過ごした。小学生の時、父親が買ってくれた鉱物標本を見て、結晶の不思議さに魅せられたという。青色LEDでも、窒化ガリウムの高品質な結晶が研究の対象物。「後年の私の人生を暗示していた」と振り返る。周囲から青色LEDの研究は無謀と揶揄されてもひたむきに、愚直なまでに取り組み続けた。「問題が難しいほど闘志をかきたてられた。小学生時代から、試験は一番難しい問題から手をつけた」と言う。また、若い学生たちには、「若さはそれ自体が大変なパワー」、「失敗を経験しながら、最後に成功にたどり着けば良い」と。なるほどと頷くばかり。

赤崎氏の一番弟子でもあり、努力の人、天野浩氏。静岡生まれの天野少年は、ソフトボールやサッカーに夢中となって過ごす。捕手やゴールキーパーなど「頭脳的だが、余り走り回らないポジションが得意だった」という。高校時代は、数学の問題を解くことに快感を覚え、2年生の時に、3年生の教科書と参考書の問題を全て解き終えたという。大学3年生に赤崎教授と出会い、「未来のための研究だ」と直感し、「誰もがまだ成功しておらず、自分が一番になれる可能性がある」と感じ、休日返上、連日、朝7時から夜10時まで研究に没頭。実験の数優に3,000回を超す。失敗に失敗を繰り返し遂に、ヒラメキと共に実験を成功に導いた。まさに努力の人だ。

そして、中村修二氏。愛媛の漁村に生まれる。少年時代は、海や山を駆け回って遊んでばかり。学校の勉強は、暗記物が大の苦手で理数系が得意。アニメ「鉄腕アトム」の「お茶の水博士」を見て、ロボットなどを作る科学者に憧れたという。地元の大学を終え、地元の名もない会社に就職。クビを覚悟で、不可能と言われた青色LEDの製品化に挑む。製造の知識を得るため、米国の大学に短期留学。一人前の研究者として扱って貰えず、悔しい思いも経験。「こんなやつらに負けてたまるか」と、負けず嫌いの性格に火が付き研究に没頭。会社からは別の研究に変更するよう指示されたが、研究を継続。その反骨魂が実を結び、遂に青色LEDの製品化に道を開いた。

今から約40年前の1973年に赤崎氏が扉を開いた研究は、18年後の1991年にその技術を確立。そして製品化。今、「青の革命」は世界を変えた。

私たちの生活は劇的に、且つ急速に変わり便利になった。受賞により、彼らは「現代のエジソン」と称えられるに至った。

しかし、この言葉も忘れてはならない。彼らは、こう話す。「渡米する日本人が少なくなっている」「すぐに結果を欲しがる人が多くなっている」「挑戦~諦めない心が大事だ」「少しニッポンの将来が心配だ」と。実に示唆に富む話だ。「不可能を可能にした」凄い人たちのノーベル賞受賞を皆で祝福しながら、今月のひと言とする。

矢吹町長 野崎 吉郎

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