泉川沿岸の小高い丘に小円墳2基が並んでいる。(径15mと10m)形状から古墳時代終末期(7世紀〜8世紀)と思われる。この地点から西方200mに、住居跡4棟、工房跡(鉄滓【てつさい】出土)が発見され、4号住居跡から「王」などの墨書銘土器が出土している。
古墳と集落の関連も考えられる。円墳は未発掘。
白黒画像:昭和49年ころの下荒具古墳群
【文化財案内看板より】
下荒具古墳は泉川沿岸台地上にあり、昭和48年4月、文化財保護の立場から所有者が自己開田の際に、A・B、2基の円墳を原型のまま保存したのであり、Aの径15m、Bの径10m、高さはいずれも1mのもので、古墳時代後期後半の山上群集積の残存したものと考えられ、中畑観音山横穴古墳群と同一時期のもと考えられる。この古墳を作った豪族の勢力が泉川沿岸の奈良時代、土?集落の墓をなすものと考えられ、重要な古墳であり、保護が必要である。
指定年月日:矢吹町指定昭和49年6月7日
所在地:中畑