平成29年9月

「神田紅葉さんを悼む」

 女性講談師の「神田紅葉(もみじ)師匠」が去る7月25日にお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り申し上げます。
 さて、町民の皆様は「神田紅葉」という講談師をご存知でしょうか。
 紅葉さんと初めてお会いしたのは、今から3年前。矢吹町出身の八重幡清忠氏を介して初めてお会いしたのがお付き合いの始まり。
 八重幡氏が主宰する「楽育会(たのはぐかい)」の皆さんが東日本大震災からの復興支援先を矢吹町に選んで頂き、支援をお手伝いしたいということで、八重幡氏をはじめ「楽育会(たのはぐかい)」の役員の皆様、また、紅葉さんの師匠でもあり、日本講談協会会長「神田紅(くれない)師匠」とご一緒に、当町を訪れたのが最初の出会いである。
 その後、当町にて、また、荻窪講談会にて紅葉さんの高座を拝見させて頂いた。紅師匠の高座は勿論のこと、紅葉さんの高座もまた見事。
 紅葉さんの高座は、荻窪講談会真打ち披露興行が行なわれた昨年11月2日にお聞きしたのが最後。鬼気迫るその話しぶりは今でも忘れることが出来ない。「神田紅葉師匠」。本名「矢光純子」。普通の主婦から一念発起。結婚、子育て、親の介護。無我夢中で家族の為に尽くしてきた一主婦が、自分の夢に向かって、「神田紅師匠」の門を叩き、弟子入りしたのが50 歳の時。苦労の末、念願叶って、65歳で「真打ち」昇進を果たした矢先の末期がんの宣告。絶望の淵に立たされながらも、夢を追いかけ、挑戦し続けた紅葉さんの「生き様ざま」を、今月のひと言として紹介する。なお、この後の文章は、今年の7月10日から14日まで読売新聞社に連載された「しあわせ小箱」から引用させて頂いたことを予めお断りさせて頂きます。
真打ち披露目前の「宣告」
「末期の胆のうがんで、余命は半年ですね」宣告を受けたのは、昨年6月。神田紅葉さんは真打ち昇進が内定し、秋に予定する披露興行の準備に奔走していた。
 2001年、50歳で師匠の神田紅さんの下に入門して、苦節15年。これからという時だ。披露興行はいったん中止に。でも「お披露目さえできれば本望」との思いだけが頭に浮んだ。
 9月に披露興行をすることになったときは、涙が止まらなかった。高座に上がると「がんばれ」「待ってました」という大声援。体はつらかったが、パワーがわいた。生き別れになった刀鍛冶の父子を描いた「五郎正宗孝子伝」を、力いっぱい語った。
五十にして天職を知る
 釈台という小さな机を張り扇でパンパンたたきながら、歴史的な事件や人情の機微を語って聞かせる講談師。観客は独特の口調に引き込まれ、頭に話の情景がありありと浮んでくる。神田紅葉さんが、そんな講談の世界に触れたのは49歳の時。子育てが一段落し、自分のやりたいことを探していた。幼い頃からの夢だった女優を目指そうと、演技指導を受けていると、講師に突然、「お前は講談に向いているな」と言われた。「コウダンって、何?」。
 初めて、生の講談を見に行った。師匠が光り輝いて見えた。すぐにとりこになった。
 師匠が上野で開いていた、講談の教室に通い始めた。
年齢の壁 乗り越え入門
 講談の奥深さにひかれ、講談で身を立てたいと思うようになった。「私を、先生の弟子にしてください」意を決して、講師だった師匠の神田紅さんに志願した。2001年夏に認めてもらえるまで10か月間、待ち続けた。50歳間近の主婦が弟子入り志願するなんて、前代未聞だった。
 正式に入門が決まった時は、50歳になっていた。何かを始めるのに、年齢は関係ない。
晴れて講談師になれた喜びにあふれた。前座として、寄席や講談会での下働きが始まっ た。
修業生活 厳しい縦社会
 入門した神田紅葉さんを待っていたのは、厳しい縦社会だった。
 「18歳に戻った気持ちでやりなさい」師匠の神田紅さんから最初にたたき込まれたのは、修業生活の心構え。講談師の世界は落語同様、前座―二ツ目―真打ちの階級に分かれており、一番下の前座は様々な仕事をこなす。目の回るような忙しさだった。
 それでも、稽古は楽しかった。まず師匠の前で原稿を読み、アクセントを正されて、直したものをテープに録音し、暗記する。師匠の家で、深夜までマンツーマン。一つの作品をものにするまで、数か月かかった。丁寧な指導で、ぐんぐん伸びていくのを実感した。
残りの人生 咲き誇る
 昨年、真打ちの披露興行を終えた神田紅葉さんは今、しみじみ幸せを感じている。厳しかった修業生活も、すべてに意味があったと思える。体調は、良かったり悪かったり。体力が続くならと、高座に上がることにした。
 今月4日には、埼玉県所沢市で開かれた講談会に出演した。車いすを押してもらった。それでも、高座で表情は一変。プロの講談師の顔になった。
 披露したのは、初高座と同じ、鎌倉時代の人情話「鉢の木」。語り終えると、客席から割れんばかりの拍手が起きた。涙が出そうになった。「余命半年と言われて1年余り。残りの人生は神様からのプレゼントかしら」力の限り、紅葉の花を咲かせるつもりだ。
                                                 (了)
                                              文・竹田章絋
 終わりに、先日、八重幡氏が来町した。来町の目的は、「矢吹講談会」の是非の開催依頼。何とか11月には、開催したいとの熱い思いを受け、開催に向け前向きに検討する旨を八重幡氏に伝えた。
 開催されることになれば真っ先に紅葉さんが喜んでくれるでしょうね。
 安らかに旅立った紅葉さんに、あらためて哀悼の誠を捧げ、今月のひと言といたします。合掌。
                                 紙面 平成29年7月10日から14日読売新聞社

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