平成31年2月号

「正月のはてな?あれこれ」


 "ペッタン、ペッタン"小気味いい音が暗いうちから家中に響きわたる。かつて、正月の幕明けは、家の土間で行われた餅つきで始まるのが我家の常だった。父と母が、まだ夜が明け切らない早朝から餅をつき始め、幼かった私が目覚めた頃には、一升以上の餅をつき終えていた。半世紀前の日本では当り前の光景。鏡開きの餅を食べながら、昔のことを懐かしく思い出す。
 今月の私のひと言は、正月行事のはてな?のあれこれを紹介し、改めて「正月」について、少しでも理解を深めてみたい。
 まず、我家の場合、正月の一連の行事は、餅つきから始まる。杵と臼で餅をついていた頃は、正月1日の仕事だった。現在は28日に餅をつく。何故29日と31日を避けるのかは、皆さんも既にご承知の通り。神棚に供える一回り大きな鏡餅と、小さめのお供え餅を、そして正月中に私達のお腹に入るのし餅も容器に流し込み、餅つき終了。
勿論、元旦にはいつもの年と同様に、鏡餅を神棚にお供えさせて頂いた。
そこでまず、「鏡餅」のはてな?ですが、鏡餅は古来より、歳(とし)神様(がみさま)にお供えする神聖な食べ物とされてきた。丸い形をした昔の銅鏡が、その名の由来である。鏡餅の大小2つの餅は、月(陰)と日(陽)を表わしており、これを重ね合わせることで福徳が重なるとされている。因みに、鏡餅は三種の神器の、八咫(やたの)鏡(かがみ)を形取ったものといわれ、また、家が代々栄えるよう、重ね餅に乗せる橙(だいだい)は八尺瓊(やさかにの)勾玉(まがたま)に、天(あめの)叢(むら)雲(くもの)剣(つるぎ)に見立てた物が幸せを「かきとる」串柿(くしがき)であり、これらをもって鏡餅を飾り付ける。
この餅つきが終れば、いよゝ大晦日。大晦日といえば、年越しそば。いつものように、そばは丼3杯。恒例の二年参り後、もう1杯。満腹、満足。
 そして、いよいよお正月。
 次のはてな?は、1年の最初のお目出たい日が何故「正月」、「元日」、「元旦」と呼ばれているのかである。
まず、「正月」。正月は正しい月と書く。諸説ある中で、一つ目は、正月を訓読みすると「かみのつき」。「かみ」とは筆頭、頭という意味で、1年の最初の月だからと言われている。二つ目は、紀元前700年頃、中国の暦に、その年の最初の月を「正月」と記載され、その後、中国から日本へ暦が伝わり、そのまま「正月」の呼び名が使われたという説に由来する。
 そして次は、「元日」、「元旦」の違い。「元日」は1年の最初の日で1月1日のこと。「元旦」は元日の朝をいうのだそうだ。
 また、正月と言えば来客が多い。元日はゆっくりくつろいだが、以降6日まで、実に多くの来客を迎え大賑わい。叔父、叔母の元気な姿と、甥、姪、姪孫(てっそん)の成長ぶりを確かめることが出来嬉しく思う。勿論「お年玉」の出費も嬉しい悲鳴だ。
 そこで次は「お年玉」のはてな?について書いてみる。お年玉の由来については、江戸時代の頃、供えた鏡餅を、子ども達に食べさせ「御歳(おとし)魂(だま)」と呼ばれたこと、また、この餅は、年の始めの賜(たまもの)で、「年(とし)賜(だま)」が変化したとする説等、諸説がある。
 このお年玉文化は、江戸から明治になっても受け継がれ、そして、戦後に入った頃から、「お年玉」へ、つまり「鏡餅」から「お金」のお年玉に変ったと考えられている。
 次に、正月といえば寝正月。私の場合、元日から、朝から3食、お雑煮とあんこ餅、そして御節料理。毎食、お雑煮とあんこ餅各2~3杯をペロっと平らげる。食後は、TVを見ながら炬燵で愛猫とまったりと至福の時間を過ごす。
 ここでは、お正月の食卓には欠かせない「御節料理(おせちりょうり)」のはてな?にも触れてみる。「御節料理」は、元来、歳神様にお供えする料理。「御節」とは、「御節供(おせちく)」を略したもので、季節の分かれ目の6節句、元日と5節句(人(じん)日(じつ)、上巳(じょうし)、端午(たんご)、七夕(たなばた)、重陽(ちょうよう))に食されており、正月の料理を特に「御節」と呼ぶようになった。歳神様にお供えした料理を食べることにより、幸せのお裾分けが得られると信じられてきた。元々は貴族の風習、その後庶民に広まったのは江戸時代からと言われている。御節料理は、重箱に詰めるのが一般的で、正式には4段である。これは完全を意味する「3」の数字に、さらにもう一段重ねて、最高の幸せを得るという意味を持つ。なお、4段目のお重は、4が「死」を想起させるため「与の重」と呼ぶ。
 最後に、ずっと気になっていたはてな?について書きたいと思う。それは、「歳神様」。この歳神様の由来についても諸説ある。
 まず一つ目は、歳神様は「神道の神様」とされ、その数は八百万(やおよろず)に及ぶ。神道とは、地上の万物に神様が宿るという考えで、山や川、森、気象から野生の動植物等を神と崇める。
 二つ目は、年初、その年の豊作を願い、歳神様を「穀物神」として祀ってきた。歳神様の「歳(とし)」は主に稲が語源となっていることから、稲の豊作をもたらす神様として、日本では昔から大切に扱われてきた。
 そして、三つ目は、人々を災いや病気から守ってくれる先祖の霊という説である。
 歳神様は、初日の出と共に里の家々にやってくると言われており、そのお迎えのために、「すす払い」をし、目印として玄関前に門松を飾り、しめ縄で神域である部屋に案内し、依(よ)り代(しろ)の鏡餅に依り憑いて私たちを見守って頂く。松の内の期間は、御節料理で最高のおもてなしをし、終れば山へ満足して帰ると考えられてきた。7日には正月の飾りをはずし、11日の鏡開きの日に歳神様の魂が宿った鏡餅を雑煮として家族全員で食べることで、歳神様の力と幸せも頂く。実に有難い神様が歳神様である。
 結びになりますが、今年も、町にとっても、皆様にとっても、より良き年であることを皆で願いながら今年最初の私のひと言といたします。今年もよろしくお願いいたします。

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