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国神城館

国神城跡01

国神城跡02 

泉川に突出した、台地状の山城館跡と考えられ、興国年間(1340~45)ころ、石川九郎光幹が舘主となり中畠氏を創設したと伝えられるが定かでない。
江戸時代の中畑村絵図によれば、周辺に南都域、内屋敷、福寿庵、東都城、森廊、大熊森などの地名がみられる。
圃場整理により現在は本丸(一番高い部分)を残すのみとなり、その遺構など不明が多い。 白黒の画像:昭和45年ごろの国神城館

【文化財案内看板より】
 平安時代の後期、前九年の役(1062)の戦功により、河内の石川頼遠・有光が仙道(福島県中通り)の地の一部を拝領して、石川の地に入り、藤田城(現石川町中野)に居城した。その後、矢吹の地は石川郡(イシカワゴオリ)に属し、戦国時代末期まで石川氏の支配領域内であった。
 興国年間(1340~1345)石川家十五代の領主石川詮持の弟、光定の子、石川九郎光幹が国神城に入り、「中畠(中畑)氏」を称したとの伝えもあるが定かではない。
 中畠氏は、国神城から観音山館(現中畑根宿)に居を移す。戦国時代になり常に近隣からの脅威にさらされるようになると、平城や平地の館では、防備の点で不安があったと思われる。
 国神の城は、泉川を外堀とし自然の丘陵を活かし周辺を堀で囲み、その跡は水田として残っていた。規模は東西約300メートル、南北約400メートルで、本丸にあたる高台と南部の曲輪(クルワ)は地形的にそれぞれ分断している。
 国神城は、昭和48年矢吹地区県営圃場整備事業に伴い発掘調査と地勢調査が行われ、遺構が確認された。国神城跡の中心部の丘陵部分約300平方メートルを町指定史跡として指定している。

指定年月日:矢吹町指定昭和48年4月1日

所在地:国神

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