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谷中古墳群
阿武隈川の氾濫原に3基の古墳が封土を欠失し露顕していた。
1号墳は、全長9.3mの石室をもち、玄室の長さ6.3m、幅1.8m、高さ1.5mと推定される。天井は3m×3mで無袖形の横穴石室である。
石室を中心に半径20mの範囲から円筒埴輪、形象埴輪の破片が発見され石室内から鉄鏃【てつぞく】細片と耳飾一点が発見されている。
周溝は幅5mで長軸約50mと前方後円墳と推定され古墳時代後期(6世紀末)ころの造営と考えられている。
西方、650mの位置の一段高い所に鬼穴古墳がある。
【文化財案内看板より】
谷中古墳群が所在する一帯は阿武隈川の氾濫原です。矢吹町教育委員会では昭和44年7月に谷中古墳群の1号墳の発掘を実施しました。石室は羨道、玄室の全長9.3mの横穴式石室で、天井石は3m四方もの大きな石が使用されていました。石室を中心に半径20mの範囲から円筒埴輪、形象埴輪の破片が発見され、石室内からは鉄鏃の細と耳飾一点が発見されました。昭和50年に1号墳の周溝調査が行われた結果、幅5mの周溝が検出され、古墳は長軸約50mの前方後円墳と推定されました。調査による出土品は少なかったが、石室の規模、使用された巨大な石、さらに埴輪を配するなど、県南地方の後期古墳として代表的1つであり、三城目周辺を支配した強大な権力者の墓であったと推測されます。
指定年月日:矢吹町指定昭和51年4月15日
所在地:谷 中
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