平成25年3月

「三市町への旅」

2月の初旬、公務出張の旅に出た。

 全国各地の市町村の支援について、今までも幾度となく様々な機会を捉えて紹介してきた。北は北海道足寄町から、南は九州小竹町・川南町まで、多くの心温まる物心両面に亘る支援は、当町の復旧のスピードを加速させると共に、町民の安寧を一早くもたらした。今までの支援の御礼とこれからの支援の継続のお願いを兼ねての旅だ。今回足を運ばせて頂いたのは3市町。

 まず、昨年4月から一年間に亘る人的支援を受けている山梨県甲府市を訪ねた。新宿駅から中央線「JR特急あずさ」で1時間半余りで甲府駅に到着。戦国時代の名将「武田信玄」で有名な歴史の町。駅近くにお城の石垣を見ることも出来、歴史の重みを感じる。市庁舎では、宮島雅展市長、林正孝副市長が公務多忙の中、わざゝ時間を割いて出迎えてくれた。長期の支援に対し、最上限の敬意と感謝を込めて御礼の挨拶をさせて頂いた。宮島市長からは、被災の御見舞と、今後の支援の継続、更には、今後の両市町の災害援助の在り方について協議を深めていきたいとの嬉しいお言葉を頂いた。殊更、宮島市長が、地震の脅威は勿論だが、近くの富士山噴火に言及されたことは印象深い。

 甲府市を後に、次の目的地の愛知県豊田市に向った。車窓から美しい山河を眺め、身延山久遠寺で有名な身延線から、東海道新幹線を乗り継ぎ、愛知環状線で豊田駅に到着。今回の訪問で3度目だ。豊田市の人的支援は一昨年10月から今年1月までに5名の市職員の支援を受けた。東南海地震の脅威が背景にあるとはいえ、継続的な人的支援は実に有難い。太田稔彦豊田市長との対談も話しが弾む。予定時間を優にオーバー。実に1時間近く話し合った。甲府市と同様、私からは支援の御礼、太田市長からは、被災の御見舞と今後の支援の継続、更には災害援助に係る話し合いにもお互い言及した。会談後、私の友人の豊田市在住の小林豊氏夫妻と合流。市内美術館を訪ね、岸田吟香展を鑑賞した。夕方には当町支援に派遣された5名の豊田市職員と直属の上司、更に、小林氏夫妻と市内居酒屋にて、楽しく、そして遅くまで友好を深めた。

 最後の目的地は宮崎県川南町。大阪空港から1時間で宮崎空港に到着。南国宮崎は暖かいだろうと予想していたが、あに図らんや、寒い。空港から約40分で川南町へ到着。震災後2回目の訪問だ。今回の訪問の目的は、川南町町制施行60周年記念式典に出席するためだ。当町議会議員9名も併せてご案内頂いた。度重なる訪問で感じることは実に多い。川南町には山があり、町なかは平坦な台地が広がり、川が流れ海に注ぐ。こうした自然の豊かさも魅力だが、それ以上に人の情の厚さに感嘆する。記念式典の前夜祭がその証だ。会場には日高昭彦町長を始め、町三役が、町会議員・町農業委員の全員が、そして商工会女性部の皆さんが、役場管理職の皆さんが、更には、一昨年8月から当町支援のため派遣された5名の職員、総勢70名にも及ぶ人達が私達を迎え歓待してくれた。川南町は3年前の口蹄疫で想像を絶する被害に苦しんだ。当町では、一昨年の大震災で大きな被害を受け、今なお苦しみの中にある。

 日本三大開拓地の縁で、平成9年から友好交流を深めてきた両町ではあったが、この二つの大きな不幸をお互いに支えあって来たことを経て、更に両町の「絆」が深まり、心が通じ合ったことを再確認できた訪問でもあった。

 今回の5日間の旅は、実に有意義であった。限られた誌面では言い尽くせないが、お世話になり、また今後もお世話になるであろう3市町を訪問できたことで、御礼の挨拶が遅れて申し訳なく思っていた私の心の負担も取り払うことも出来た。

 あらためて、3市町との今後益々の交流の絆が深まることを祈りつつ、今月のひと言とする。

矢吹町長 野崎 吉郎

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