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矢吹が原の軌跡 その3

『矢吹が原の軌跡08.jpg』の画像

3000ヘクタールにもおよぶ広大な土地への疎水計画は明治、大正、昭和の3つの時代を経てついに実現された夢のプロジェクト。
戦争や御料地問題など数々の苦難を乗り越えて完成された羽鳥ダムは、 多くの人々の努力と情熱がつくり上げた夢の結晶でした。

昭和30年、ついに完成した羽鳥ダムは、 荒涼とした原野であった矢吹が原を豊かな農業地帯に変え、 そこに暮らす人々の生活に潤いと豊かさを運びました。



『矢吹が原の軌跡09』の画像

岩瀬・西白河地方の東部に広がる矢吹が原。平坦な地であるにもかかわらず隈戸川、釈迦堂川などの河川は河床が低いために、水流を眺めるだけで農業などに利用することはできませんでした。ここに暮らす人々にとって、農業用水に確保は最大の課題であり、永い間の宿願でもあったのです。
明治時代になってから、政府の士族授産のための本格的な開墾が始まり、矢吹が原の十軒原に二戸、八幡原に三戸の士族が入植しました。また、矢吹が原には御料地があったため、明治十三年には宮内庁開墾所が六軒原(鏡石町)に開設され、独自に開墾が進められることになりましたが、用水の不足などで思うように進みませんでした。明治十八年と三十年には大和久村の星吉右衛門が矢吹が原への疎水計画を陳情しましたが、実現には至りませんでした。
ようやく矢吹が原の開墾事業が具体化したのは、昭和九年に矢吹が原御料地の払い下げが決定した後でした。昭和十一年に矢吹が原開墾事務所、昭和十六年に農林省矢吹原国営開墾事務所が設置され、本格的な国営開墾事業がいよいよスタートしました。しかし、太平洋戦争の勃発、敗戦によって事業はまたも一時中止を余儀なくされます。その後、戦後の食糧不足解決のために再び灌漑用ダム早期築造が要望されるようになったのは昭和二十一年になってからでした。中止となっていた羽鳥ダム工事も開墾事業と共にようやく着手されました。



『矢吹が原の軌跡10』の画像 『矢吹が原の軌跡11』の画像

それから十年後、幾多の苦難を乗り越え、昭和三十一年十一月十一日に矢吹町小学校講堂で羽鳥ダムの竣工式が行われました。明治十八年に星吉右衛門の提案した羽鳥用水がついに完成したのです。住民の永年の夢であった農業用水ダムの完成により、矢吹が原は今日の豊かな農業地帯へと生まれ変わりました。

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